暗い中、私は急な階段を降りました。電気はあったのですが、つける意味がないと感じたのです。学校の先生が「ありすちゃん、電気をつけたほうがよくない?転んじゃうよ?」と声をかけてくれましたが、私は「先生、つけてもつけなくても同じですよ」とあっさり答えたのでした。
どうでしょう、驚きましたか?メガネをしていましたが、この階段の件は視力の問題ではなかったのです。注意して階段を見ていても転ぶことがありました。いつの間にか、階段を足で叩いて確認しながら、登ったり降りたりするようになりました。「目を開けても、閉じていても同じこと。見えても見えなくても変わらない。」と私は気付いたのです。確か小学2年生のころだったと記憶しています。
このことは、私にとっては当たり前のことだったので、自分自身不思議に思うことはありませんでした。
同じ頃、教師だった父と、別の教師が同時に顎髭を生やし始めました。私は「お父さんが二人いる!」と喜び叫びました。どちらが父なのか見分けがつかず、父が二人になったのかもしれないと思って嬉しかったのです。
中学生になってもそうしたことが続き、「目で見えているものは信じられない」ことを学びました。ある日、お隣さんの可愛い猫を見かけました。でも母は「それは犬でしょう」と教えてくれました。小さな犬と猫の識別が私には難しかったのです。
そのようにして私は、他人と自分の見え方に違いがあるようだと次第にわかってきました。数年前に心理検査(WISC)を受けたとき、自分の視覚的な識別が一般的な99%のひとと異なっているという結果が出ました。例えば、
―大きさの認識について:自分の上着と小さい子供の上着を直ちに見分けることが困難
―人の顔の認識:知り合いが帽子をかぶるとその人だとわからなくなる
―自分と他人の荷物の区別:他人のカバンを持ち帰ったことがある・・・
などです。
しかし逆に、人の名前や、長い話の詳細などは一般の人よりもよく覚えることができます。WISCでは「一般知識」が優れていると評価されました。つまり「できること」と「できないこと」の差が大きいのです。
実は、アスペルガーの人のなかで私のようなタイプは比較的少ないそうです。多くのアスペルガーの人は逆に、耳で覚えるより目で見るほうが理解できる「視覚優位」だと言われています。
しかし私のように視力の問題ではなく「見て判断する」力が弱いのひとの存在を、皆さんにぜひ知ってほしいです。
参考になれば、嬉しいです。どうぞよい一日をお過ごしください